2007-03-31

久しぶりの電話

先日懐かしい友人から電話があった、数年前にバンコクを訪れた時に知り合った一応歌手?シンガー?からである。 タイ、ラオスを回り、帰国までの数日バンコクに滞在した時に出会ったのだ。

バンコクに着いたのは夜遅く、バスでタイ北部から10時間ほどかけて到着したのだ、食後タクシーの運転手に安くてきれいなホテルにつれていくよう頼んだ、タクシーの運転手はまかせなさいってな感じで連れて行ったのはとあるホテル、チェックイン前に宿代を聞いた、1000バーツ→1200バーツですとここの支配人、日本円で多分3000円→3100円ほどします^^しない金額である、日本から着いたばかりならばそれでOKと言うのだろうが、その時は旅も後半、金銭感覚は現地に近くなっていた、高すぎるから他探すと出て行きかけると、ちょっと待ってと支配人、600バーツ→700バーツでどう?と聞いてきた、なしていきなり40%オフ? でもこれでもぼってる?とも思ったが、あっしも納得でチェックインした、当日は疲れていたのですぐ寝たのだが翌日 このホテルのレストラン&周りがあまりにすさんでいるので朝食後即チェックアウトし、荷物を担いでバンコクの町に出た。

通りで客待ちしているバイクに荷台をひっつけたトゥクトゥクの連中に声を掛ける、バンコク市内案内に時間で支払いたいと持ちかけた、その中で最安値のおっさんと時間50バーツで契約成立、とりあえず観光することとなった。

続きは次回に &多分旅行記残ってると思うので確認いたします。

2007-03-15

あなたは許せるか?Ⅲ

さて、男と女の友人の男女関係の危機的状況における反応については書いた、今回は自分の番である。

京都に勤務していた時に私には付き合っている女性がいた。素晴らしい女性であった。 当時私は棲家を転々としていた。 最初は嵐山近辺に住んだ、ここは以前書いたように会社の寮である、その後一年間高槻に住んだ、高槻の駅から南へ行くと城跡公園がある、その南側に住んでいた、実は会社との往復の途中に彼女に家があったのである。 そして京都市内へ再び舞い戻った、場所は右京区の西院、祇園界隈から四条通を西へ数キロ行くと阪急西院駅がある、その近くだ。

そのあっしの彼女はあっしとの恋愛に対して非常に真面目、真摯な態度ともいうべきものがあった、プラスその彼女の親とも懇意だったのである、いつもの悪い癖で相手の家にも出入りし、そこでご飯をいただき、泊まることも容認されていた、週末には一週間たまったあっしの洗濯物をアイロンがけまでし、部屋は掃除、着る物に無頓着なあっしをコーディネイトし、食事もつくりに来る、まさにあっしは世話になりっぱなしの女性だったのである。 そして欠点の無い女性でもあった。

そんな付き合いが数年続いた頃、あっしの嘘から決定的な局面を迎えたのである、ひょんなことがきっかけで知り合った女性と遊びに行くことを約束してしまったのだ、つまり浮気である、罪の意識は全く無かった軽い気持ちだった、しかもその週末は付き合っていた女性と遊ぶ約束をしていたのにである。

当然、キャンセルの電話を入れる、その時の彼女はなぜ?を繰り返した、その問いにうっとうしい気持ちで生返事そして半ば強引に電話を切った。 その後で遊びに行く女性を自分の部屋に泊めた、いつも彼女が掃除し料理してくれている部屋に申し訳ないなどとはこれっぽっちも思わずに泊めたのだ。

翌朝あっしの部屋のインタフォンが鳴った、いつもなら気にせずドアを開けるのだがその時は悪い予感がした、のぞき穴から外を見ると彼女が立っていた、居留守を決め込むかと思ったが無駄であることはすぐにわかった、彼女には鍵を渡しているのだ。

外に出ると彼女が言った「中にいる女性と話をさせて」、このときあっしは彼女に別れの言葉を告げたのだ。 今まで尽くしてくれた彼女に対しあまりにもひどい言葉であったとその後は思った。

しかも、その時あっしの心の中にあったのは、昨日電話で今日は無理と言ったのになんで来るねん、というあまりにも身勝手な発想だったのだ。 

罪の意識がなかったわけではない、泣きながら帰っていく彼女を見ながら、この状況を招いたのはあっしなのに、本当に大事にしなければならない女性だったのに追いかけもしなかったのだ。

もし自分の過去にやってきた行動で もし修正できるならあの時の浮気である、それが無理ならせめてあの状況で別れを告げるよりも謝罪をしたい、帰って行く彼女を追いかけたいのだ、これも余りにも身勝手なこととは十分承知で。

2007-03-08

あなたは許せるか?Ⅱ

今から数年前女性の友人Mの男との話を聞いていた、このM けっこういけてる女(の子って年ではない)である、今は違う男と結婚したのだが当時はまさにバカ正直? うぶ?まさか^^ってな話を平気でしていた。

そのうちのひとつ、ある日男の部屋でMはテレビを見ていた、時間は夜の11時近く、静かに過ぎ行く静寂をインタフォンの音が壊した。 時間は11時近く、いきなりの訪問者、男はインタフォンでなにやら話した後、ちょっと出てくるからの言葉を残し部屋を出た。 インタフォン越しに聞こえたのは女の声だったのは間違いないらしい。

それから数十分後、男が帰宅、何事も無かったかのように帰宅、ただ出て行く前と違っていたのは男のTシャツが引き裂かれていたことだ、当然Mは何があったのか聞いた、すると男は友達の彼女が訪ねてきたんだが、男と何かあったらしくて俺にも八つ当たりだよ、とのたまったらしい。

Mは、ふ~~ん そうなんや。   しばしの沈黙。

っておい!!  ここまで聞いてこけました、で、その話は終わったんかと聞くと、うん 終わったよ ってまるでTシャツが破れていたのがニュースみたいな言い方されてあきれました^^

Mはそういう子なんだと思うしかない! あっしならもう少し追求するだろう、疑ってかかるだろう、納得いくまで話し合うだろう。 でもふ~~んで納得してしまったMは疑うことを知らないらしい、まじで男の説明どおりと信じていたらしい。 この男の真相は知らない、でもこんなあっさり追求されること無く許されてしまう男女関係もあるんだなと思った。

今は娘二人に囲まれて幸せなM、その人柄が良い男を手繰り寄せたのかもしれない。

続きは次回

あなたは許せるか?

今日ドラマを見た、先日女王様も好きと言っていた「デスパレートな妻たち」である、あっしが見始めるもっと前から放送はされていたのだがその時はもひとつピン!と来るものが無く続けて見ることはなかったのであるが、昨年の秋頃にファーストシーズンを一挙に放送していたことがあり、それを何気に見ていたらはまってしまった、以来今やっているセカンドシーズンもほぼ欠かさず見ている。


今日の内容というと、自分自身を律していないと最後には一人になっちゃうぞ! ってなことを警告するお話であった、大事にしようとしていた娘に捨てられた母親、浮気がばれて奥さんが子供を連れて出て行かれてしまった男、まさに修羅場の後の静けさの中ぽつ~~んと一人、あなたは耐えられますか?ってな感じである。

日々常に真っ当な行動、恋人に妻に夫に誠実であり続けるってことはみなさんにとってハードルは高いものなのか? あっしにはハードルが高い、また最後の最後、究極の場面では誠実にきっちり応える相手なら許せるのか、許せるならどういう状況であるのか? 疑問符の連続である。

あっしの友人Yは以前勤めていた会社の同期である、彼は研修後名古屋に配属になった、配属後間もなく今の奥さんと付き合い始めた、名古屋には会社の寮がなく彼はマンションに一人住まいをしていた、そして名古屋の夜、そりゃ~刺激的ですわな、その時あっしは京都であり名古屋へも遊びに行くことが何度かあった。

そして何年か付き合いを重ねたある夜友人Yのマンションにその奥さん(当時は恋人)がいきなり訪ねてきたらしいのだ、インタフォン越しに見たYの部屋には別の彼女がいた、このまま放置すれば即修羅場となり二人とも失うのか、やらしく二者択一するのか、決断を迫られたYはすぐに部屋を出て訪ねてきた恋人とそのまま遊びに行ったらしい、決して部屋に入れることなく、そして部屋にいる彼女に一言も告げずに出て行ったのである。  そして数時間後恋人を家まで無事送り届け自宅マンションに戻った時には彼女の姿は無かったそうである、残されていたのはYの行動を非難する手紙だけだったそうだ、彼女とはエンディングを迎えたがYにとって失ってはいけないものはわかっていたのである。

Yがいい男とか、いい判断をしたとか言いたいのではない、ただ 少なくともYにとって大事なものは何かがきっちり判断できていたということだ。  Yにとっては究極の場面で誠実に対応したつもりなのである。

その後彼がどういう夫婦生活を送っているのかはわからない、聞いてもいない、でも子供を授かり奥さんとともに多分平和に幸せに暮らしているのである。

続きは また近いうちに。

2007-03-05

大阪ポーカーオフ

昨日の日曜日 大阪ポーカーオフがあったので参加してきた、最近早々に飛んでいる印象の強いここでもう少し長くポーカーをやりたいものだな~などと思いながらテーブルに着く。

はじめに今度開催されるAJPC,全日本ポーカー選手権の予選についての説明があった、なんと会場を提供してくださる大阪商業大学、セガなどもありーの、主催は夕刊フジ&全日本ポーカー選手権実行委員会であり、日本のポーカーの環境が激変してきていると感じた、あっしのポーカーのスキルは相変わらずのままだがw

説明の後、早速ファーストラウンド開始である、ここからが我慢しきれなかった、←これいつもの言い訳。

最初の一時間、今まで経験した中で一番悪いハンドのオンパレードであった、Aなんざ~もってのほかで、絵札すら見ない展開、ポケットペアも44が一度来たのみでリンプインはすれどボードとのマッチングもさっぱり、ショウダウンにいくまでにダウン&ダウン&ダウン&フォールド。

同じテーブルで一度もチップ獲得できないのはあっしのみのまま最初の一時間が終了、他の7人はまがいなりにも勝負したり、レイズ、リレイズのアクションができて非常に楽しそうであるww

はじめて勝負になりそうなA9オフでアーリー付近からオールインをかましてみる、ノーコール、本日始めてのチップ獲得であり、最後の獲得でもあったw

しばらくしてA3が入った、前回のA9以来のAに調子こいてオールかますとBBに受けられた、やばい雰囲気、開けてみるとAJって、ターンでJが落ちてエンドであった。

ただ最近自分の成長は感じないのだが、大阪オフのメンバーでも若い世代の成長はいやっちゅうほど感じるのである。

今回優勝したkenderはじめvoid、polly、bazil、彼らのスキルはあっしの手の届くところにはない、2月に東京のDUKEでかなりの人数とテーブルをともにしたが、JO氏を除いて、彼らほどの輝きを放つ方はいなかった気がする。 

もっと勉強して追いつくぞ~~よりは若い世代の成長がまぶしい、羨ましいなどと思っているあっしにはよほど運が無い限り勝利は無いと思うこの頃である。

2007-03-03

息子の行動

最近息子の学級担任やクラブの顧問の先生と話す機会がやたら多くなってきた、今年はじめに息子のエスケープの時に「なにかあったら私の携帯に電話ください」な~~んて言ってしまったのが事の始まりだ。

その後、しばらくは鳴りを潜めていた息子もばれな~いようにやってるつもりであるが、8割がたはあっしに筒抜け状態となっている。 先生方が学校に来てない時、クラブ活動を休んだ時、連絡をいただけるからだ、たしかに「なにかあったら電話を」と自分から言った以上しょっちゅうの電話に文句を言える筋合いではないが、あまりの頻繁な電話に息子に苦言を呈するありさまである、「おい、さぼるなとは言わんがあっしにばれな~いようにもっとうまくやりなはれ」、せめて先生から電話がかかってこないようにうまく立ち回って欲しいものだ、さすれば息子のくだらん嘘も発覚する危険性は最小限になるはずなのに、今の状態ではほぼあっしに即バレとなっている。

自分が息子に言ってることで一番重要なポイントはあっしに嘘はつくな! ということだ、成績がどうとか、学校にきっちり行ってないとかはあっしにとっては二の次なのである、本当に息子を助けたい時に嘘の情報を与えられては助けようが無いと思っているからである。

逆に言うと、あっしにとって一番むかつくのが嘘をつかれることである、それが頻繁に露呈してしまう息子ははっきり言って馬鹿だ、まずいことをやってそれを隠蔽するために又嘘をつく、嘘を嘘で塗り固めると今度は自分自身がわからなくなってくるのではないか、そんな不安を息子に感じている最近なのである。

中学生ってのはこんなものなのか、これで普通なのか、そうであるなら少しはあっしの不安も解消されるのかも。

2007-03-01

浜松にて

先日仕事で浜松に行ってきた、あっしにとって浜松ってなんとなく名前は知ってるがいつも通過するだけの街というのが偽らざるところだ。

仕事は順調に終わり、時間があったので浜松城に足を延ばした、その昔の戦国時代に徳川家康の居城であったところだ、天守閣は大阪城などと比べると非常にこじんまりとしている、中を見るのも150円くらいのもんである。 でもその金額に対して余りに多くのものをいただいて帰ってきた。

天守閣の中に入ると無料ガイドをよろしかったら申しつけくださいみたいに書いてあったので、早速お願いしてみると最初に出てきたのは60代とおぼしき女性、天守閣の中を案内してもらいながら飾ってあるものの説明、合戦でのこぼれ話、篭城した時に必要な水を確保するための隠し井戸などを見て回った。

ある程度つっこんで聞いていたので外の案内は詳しい人に頼んでみますと言われたので待っていると、恐らく60代後半、名前はたしか~、橋本さん?だったか、城についてのさらなる詳しい説明やら、家康の家臣らの話や、その後の城主たちについての話や、そこから浜松の産業についても話が及び、ヤマハや河合楽器、スズキは知っていたが、あのホンダも発祥は浜松とのことであった、創業者本田氏が自動車工場を持ったのが浜松城からほど近いところだったそうだ、そんなこんな話をしていると、なんとあっしたった一人のために約1時間半に渡って時間を割いてくださった。本当に感謝感謝である。

歴史は好きなあっし、その昔若かりし頃司馬遼太郎にはまり、今 童門冬二にはまっている、小説に書かれているところを見て回るのもいいものだと思った。