気に入られてしまう罪Ⅱ
昔々の若かりし頃のあっしは本当のところ傲慢でわがままであった、そんな自分の姿に今は嫌悪するのである、ただし表面上は正直で責任感が強く社交的な自分を打ち出し演技することになんのためらいも無かった、ある意味もう一つの自分であるともいえるが本音の部分は究極の自己中心派なのである、そういや先日、昔自己中心派っての名前のマンガがあったな~とポーカー仲間のmotoさんと話してたな^^その究極の自己中心派の部分は普段なかなか顔を見せることは無い、からだの内面にひた隠しに隠し、思いやりややさしさという名の仮面をかぶり続けているのである、そういう自分のいやらしい部分が表面に出てきたときあっしは鬼畜となる。 ただそういう部分が出てくる前に一人葛藤することがある、でも修正しきれず最悪の結果を招くことが多々あった。
あっしの場合家が厳しいという女性と多くつきあってきたと思う、年頃の娘をかかえる親の心配を今は十分過ぎるほどにわかる、が当時はその不安を取り除いてあげる事自体あっしにとっては容易なことであった、得意の表面上のとりつくろいで時に電話で、時に女性の自宅で親と面と向かって親が安心して娘をまかせられる自分を演じるのだ、そして家族にも気に入られるのである、そんなことが重なると当然親御さんから「晩御飯でもたべていきなさい」と当たり前のように言われ始める、親御さんによっては酒も食卓に並ぶ、しかもあっし好みの酒をわざわざ買い置きすることも多々あった、そうなればそう時間を置くことなく「泊まっていけば?」と言われる、そしてはじめは違う部屋を用意されるがそのうち同じ部屋で普通に大事な娘さんと寝ることになる、親御さんにすればそれを容認することの重大性が当時のあっしにわかるはずもなかった。
何人かの女性とそうなれば親御さんの期待というものも把握するようになった、でも自分の中には女性と結婚するなどということは頭の中に微塵も無い、だからたちが悪い、徐々に女性との別れ時を模索し始めるいやらしい自分が出始める、そこに至るまでになんでこんなこと繰り返してるんだろうと自身の中で葛藤もある、このままいけば親御さんも巻き込んでの悲惨な別離も予想されるのにである、その自分の中での葛藤が始まるのは必ず女性の自宅の風呂においてなのだ。 さっきまで親御さんと付き合っている女性と、時にその兄弟姉妹と楽しげに話した食事の後に風呂で一人葛藤する自分がいたのだ。そして最終的にその女性だけでなく相手の家族をも悲しい思いにさせてきたのが自分なのだ。
仕事の面でその部分が出てくることは無かった、友人関係においてもわずか数人である、そういう自分の暗いところが出るのはきまってつきあっている女性に対してである。 そんな罪も終止符が最終的には打たれたのであるが、そういう自分の過去を悔いてもどうにもならないが本当に申し訳なかったと思っている。
2 Comments:
会長さんって、悪い人だったのね。
泣いた女性が何人いたんでしょう?
でも、改心したんですよね!
もう、女性を泣かしちゃだめですよ!!
りょうかいしました^^
泣いた女性もいますが、泣かされた女性もけっこうおりますよ^^
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